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「武士道は死狂ひなり。一人の殺害を数十人して仕かぬるもの」
武士道とは死狂いである。そのような状態にある一人を仕留めるのに、数十人がかりでもできかねる場合がある。と「葉隠」に記されている。
「武士道に於いて分別出来れば、はや後るるなり」
剣術は理論であるから、尋常の立ち会いであれば自分の技量より上手には敗れ、下手には勝ち、互角には引き分けとなるのが道理である。しかし剣術を学ぶことによって、そのような思慮ができるようになることは、武士道においては後れをとったようなものである。と「葉隠」は戒めている。
戦う前に思考の中で損得の計算をして、行動を未遂に終わらせてしまう者は、武士ではなく卑怯者である。
武士道においては、相手が上手であろうと、多勢であろうと向かってゆかねばならぬ場合が殆どであり、そのような困難に勝利してみせることが、すなわち役に立つということである。
「正気にては大業ならず」
死狂いとなって事に臨むものだけが、勝負の行末が明らかな戦いを、予測不能の領域にまで押し上げることができる。
どうにもできない傷を負った者が、獅子の群れに向かってゆかねばならぬ時、凡庸の者が、才能ある者と競い合うことを決意したとき、「葉隠」の一節がまぶしく輝いて見える筈だ。
死狂いこそ命の最後の拠り所となるものである。
*葉隠(はがくれ)…18世紀初頭、山本常朝らによって著された書物
『シグルイ(2)』巻末言 狂気について
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