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イン殺 RSSフィード

2008-01-17

[]ネガティブ感想について ネガティブ感想について - イン殺 を含むブックマーク はてなブックマーク - ネガティブ感想について - イン殺

「特にまとめる気はないので思いついた順に。」

"無駄なんだ、無駄だから嫌いなんだ、無駄無駄……"

「このサイトでもネガティブ感想を書かないことはないですが、基本的には避けてます。理由は不毛だから。"無駄なんだ、無駄だから嫌いなんだ、無駄無駄……"という名言が示すように出来が悪い作品を DIS るのはきりがなくムナしい行為です。それによって何かが変わることは少なく、なおかつ文章化することで漠然とした悪印象は明確な文字に固定され、悪くすればそれが作者の目に触れ悪感情のスパイラルを生みます。"同性愛はいかんぞ、非生産的な"という名言が示すように非生産的な行為は非生産的であるので、なんというか、無駄ですよね。楽しくもなく、役にも立たないことに注力するのは、時間という限られたリソースを浪費することと同義です。時間とはもっと下らないことに消費すべきなのです。『グレンラガン』の DVD を観るとか、『エビと日本人II』を読むとか、録画しておいた『墓場鬼太郎』を観るとか、 JavaScript でリバーシを実装するとか。」

"人格だよ"

「 DIS によって多かれ少なかれクリエイターの生産性が下がることを事実と仮定すると、元気に活動できるクリエイターとは DIS による生産性低下が比較的少ない人ということになります。自力でフィルタリングするのか、 DIS に耐性があるのか、或いは DIS によって強くなるのかは千差万別としても。そのような避けようのない試練の末にクリエイターはクリエイターとしてやっていくわけで、なんというか、適者生存ですよね。そのようなプロセスがないとクリエイターは増えすぎ、いつか世界は表現者で埋まってしまうのかもしれません。漫画家に必要なものは才能ではなく、本物との差を決定的に分ける一線は人格であるとの説があります。あれはそういう意味も含んでるんでしょうか。知らないけど。」

「あと、"あなたの描くうそは、誰かがお金を払ってでも騙されたいものかしら?"という名言がありますが、これって作者が作者に言うから名言なんであって、読者が作者に言っちゃあ台無しですよね。」

"覚悟完了"、或いは"覚悟が道を切り開く!"

「覚悟というのは自分から完了するものであって、人に強制されるものではありません。それでは"覚悟しろ!"であり、悪党の死亡フラグです。なので、覚悟を強要するような言説は多かれ少なかれ軋轢を生むでしょう。洗脳の手段としては自己啓発の方がよほどソフィスティケートされており、実際ネット上では『覚悟とはこうするんですよ』『わかった! 覚悟したよ!』みたいな話が溢れています。いいか悪いかで言うと、ガンダム 00 くらいにはいい話だと思う。」

「覚悟なんてしない、というスタンスは、それはそれで新しいかもしれません。"ぼくらは正月気分を抜かない"という名言*1に倣い、"ぼくらは初心者気分を抜かない"というのは面白いかも。ただ、自分の覚悟を意識した時点でメタ覚悟は生成されてしまうので、そのような状態を維持するのは難しそう。『えーマジ無覚悟?』『キモーイ』『キャハハ』『未覚悟が許されるのは小学生までだよねー』くらいのコピペでも破綻してしまうかもしれません。明示的な"覚悟しない覚悟"というのもなんとなく自己矛盾しているし。やはり覚悟はせざるを得ないのかな。」

「余談ですが、 xx は"せざるを得ない"を"せざる負えない"と書く人がとても嫌いです。『BLEACH』を"鰤血"と書く人くらいは嫌いですね。」

作者と書評/感想書きの理想的な関係とは

「儀礼的無関心という便利な概念があるので適用するとよいでしょう。作者サイドが公に絡むこともないし、読者サイドも作者サイドの視線を無視しつつ勝手に書く。大昔からそうなっている理由は、たぶんそうしないと色々とめんどくさいからですよね。無用な軋轢を生むことが経験的に分かっているから。梅田望夫さんのように、感想・批評を読んでいることを思い切り公開するタイプはかなり新手のスタンド使い。あれはタフだと思う。」

「儀礼的無関心を崩してみるのは、たまにやると面白いのでたまにやるといいでしょう。歴史が繰り返すのは、繰り返してみるのが楽しいから。」

先生について

「自分はいたがきぐみの公式サイトができた頃から板垣呼ばわりを止め、板垣"先生"と表記するように改めました。思い返してみると、この対応は後手に過ぎました。ネットで何かを書き始める瞬間から"ネット上に誰がいるのか"は想像しておくべきでした。そうすれば当時既に筒井康隆がネット上にいたことに気づいていたでしょう。以前どこかで書いたようにネットのどこかには筒井康隆と羽生善治がいるわけで、迂闊なことを書けばこの二人から DIS られる可能性が(極小とはいえ)あるわけです。 blogでdo とは当然そういうことですよね。」

*1:『金色のガッシュ』のアオリだったと思う。

xx-internetxx-internet2008/01/18 08:29結論は『そんなことより海老の話しようぜ!』でお願いします。

無駄ではない無駄ではない2008/01/19 12:22お邪魔します。
amazonの『ベストレビュアー』の方々に共通する特徴がいくつかありますが、その一つは「ネガティブレビューがない」と言う点です。
どんなに世評の悪い作品であっても誉めることは可能で、そういうレビューは好評を得ます。
ですので、私はベストレビュアーのレビューは読みません。

人が求めるのは珠玉の作品であり、ファンは自分の好きな作品こそ珠玉だと思いたがります。
でも、現実に珠玉の作品はごく稀です。
全ての要素が長所のみで構成されているなどということは、「長所」が見るものの主観により変化する以上、まずない。
大抵の要素は人により長所にも短所にもなり、そして短所は目に付きやすい。

長所を大きく評するか短所をとるか、またそれを人目に晒すか。それは視聴者・読者それぞれの問題です。

そして。是々非々のうち、『非』を排したレビューは読み心地がいいです。レビューを読む者がその作品のファンならなおさら。

しかし、その作品や作家を知らずして購入する際の助けにはなりません。
知らずに買うからこそあらゆる情報が欲しい。その情報を信じるかどうかは、そのレビュアーを信じるかどうかにある。

それは、作家やファンが気にすることではないと思います。


ところで・・これは現実の話です。私の叔母は知り合った人の長所しか見ません。彼女に掛かれば誰でも「素晴らしい人」で、自分の友人にも「素晴らしい人」と紹介します。どれだけ胡散臭い人でも。

今ではスッカラカンですよ。詐欺で財産をごっそりやられ、同様の被害にあった友(だった)人からは「あんたが素晴らしい人と言うから信じた」と責められています。
騙されるヤツが悪い?それはそうです。でも叔母は『騙される手助け』をしてしまったのですよ。

極端な例ではありますが、『是しか書かないレビュアー』もこの叔母と同じような存在だと思いますよ。

私が求めるのは、是でも非でもいい、心で読み心で書いたレビューです。

某セリフをもじるなら

「是でも!非でも!
最後まで貫き通せたレビューに誤りなどは何一つない!!
もしキミが自分をレビュアーと思うならばレビューし続けろ
!武藤カズキ!!
次の作品はすでに待っている!」


長々と失礼しました。

xx-internetxx-internet2008/01/20 01:12> 無駄ではないさん
「何でも誉める」と「好きなものしか誉めない」を混同しているように見受けられますが、それはさておき。
無駄という書き方がアレであれば「自分にとってコストパフォーマンスが低い」と言い換えます。他の方が趣味や実益で手がけるのは結構ですし、更に別の方にとってメリットがあるかもしれませんが、自分は面倒なのでノーサンキューです。

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