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イン殺 RSSフィード

2008-06-13

[]『ミスト』(フランク・ダラボン) 『ミスト』(フランク・ダラボン) - イン殺 を含むブックマーク はてなブックマーク - 『ミスト』(フランク・ダラボン) - イン殺

「観に行く前に原作も合わせて読みました。
自分は宗教上の理由から、原作を読んでいない映画は観ないことにしています。大体において映画化作品は原作に及ばないためです。特に、元が傑作の誉れ高い作品である場合はなおさら。
『ミスト』について言えば、先に原作を読んでおいたのは正解でした。それは否定的な理由じゃなく、映画の方が原作よりも面白いからです。あのストーリーをこのように仕上げてきた、という賞賛を感じる上で、原作『霧』を読んでおくのは必要なプロセスだと思います。未読の方はぜひ。」

「『ミスト』のよさは簡単に言って"理不尽な状況"と"絶望"にあります。ありふれたテーマといえばそれまでですが、その普遍的な原因と結果を突き詰めることで、画面にはひりひりするような緊張が生まれます。『ミスト』の何に金を出すかといって、このひりついた空気にこそ払うべきだと思うのです。」

「人は理不尽に遭遇したとき、その人の持つ何かに拠ってその難題に立ち向かいます。それは科学であったり経験であったり自分の理性であったり、或いは神であったり本能であったり葉隠の一節であったりします。
常の場合であれば、科学及び論理というのは非常に高性能な武器です。たいていは科学を超えた理不尽というのは実在せず、それは理不尽を科学的に分析できていないか、科学の対象とするにはコストが高すぎる理不尽を科学で断じようとしていることが原因です。それがゆえに現代人は理に頼るのです。
では、もし理が通用しない事態があったとしたら? 街に出かけてスーパーマーケットで買い物をしていたら、突然窓の外が霧に覆われて、姿が見えない何かが外をはいずりまわっているとしたら?」

「しかしながら今そこにある理不尽に、人は何とかして立ち向かわなければなりません。彼らはスーパーマーケットの外に出てもいいし、出なくてもいい。神に祈ってもいいし、祈らなくてもいい。なら何に頼るべきか? 既に科学の域を超えた事態に対して、経験や理は何かをなしうるのか?
この状況下で真剣に"神"という選択肢が出てくるところが、キリスト教圏の人の手による作品の恐ろしさです。『霧』が日本人によって書かれていたら、恐怖は全く別の形を取っていたと思います。それくらい『ミスト』は神に近い、おそらくは原初の恐怖を扱った話です。何もしてくれないがゆえに神は万能であり、何も応えてくれないがゆえに神は全知なのです。」

「その状況下でなおも神を信じない人には何が待っているのかというと、絶望です。どうしようもない事態はどうしようもない事態として、逃れようもなく人間にのしかかってきます。プッチ神父曰く"覚悟は絶望を吹き飛ばす"そうですが、漫画じゃないのでそこまでの覚悟が瞬時に完了する人はいません。覚悟によってしか絶望とは対峙できませんが、対峙したからそれで話が終わるわけでもないのです。理不尽ですね。」

イタチイタチ2008/06/15 20:51自分と逆だ。原作を読んだ映画は見ない。読んでからだとできの悪さに耐えられない

gg2008/06/16 13:43かつて父がアメリカ出張に向かったとき、
フライト中に上映された映画が『ダイハード2』だったそうです。

 2008/06/17 15:22酒鬼薔薇はバカだったけど少し美学があった気がします。
気がするだけ。

液音ゲロ液音ゲロ2008/06/19 12:43↑酒鬼薔薇は特権意識強い子みたいだったから、まあアレは確かに美学でしょうね。しかし実際事件起こす人の「狂気」なんて基本イタいばっかのものですよ。何か期待するのがおかしいです。アメリカとかの犯罪者だとそこに芝居っ気があるからプロレス的に面白く自己演出するんだけど。

murumuru2008/06/22 01:44「美学」と「肥大化した自意識」の境界線ってどの辺りなんでしょうかね。

sing0537sing05372008/06/22 09:55↑自説ですが、確立された美学は一神教の宗教における神のようなもんだと思います。それを信仰してる人の自意識とは関係なく、ことの美醜のみを審判の基準にする神です。美学は、美学を持っている本人さえも容赦なく裁きます。自分も他人も公平な審査対象で、偉いものは美しさと美しいものです。そうじゃない美学は紛い物で、つまり「肥大化した自意識」なんじゃないでしょうか? 明確な線引きは難しいと思います。