Hatena::Groupkill

イン殺 RSSフィード

2010-03-27

[]『渇き』(パク・チャヌク) 『渇き』(パク・チャヌク) - イン殺 を含むブックマーク はてなブックマーク - 『渇き』(パク・チャヌク) - イン殺

「なぜ吸血鬼は邪悪なのか、という問いをひたすら掘り下げた作品*1。」

「なぜ吸血鬼は邪悪なのかと考えるとき、そもそも吸血鬼イコール邪悪なのかという点が疑問として挙がります。吸血鬼と邪悪の定義が曖昧だ。この映画の吸血鬼のルールはおよそ三つ。

  • 怪力と超感覚を持つ
  • 人の血液を飲まないと生きていけない
  • 太陽光線を浴びると死ぬ

ニンニクと十字架は効きません。霧に変じたり使い魔を操ったりもしません。おおむね現代社会にいきなり放り込める程度のリアリティを持った吸血鬼像と考えればよいでしょう。
邪悪の定義については諸説入り乱れてよく分かりませんが、とりあえず"自分のために他人を害することを厭わない者"としましょう。ブチャラティいうところの『吐き気をもよおす邪悪』です。」

「吸血鬼は血を飲まないと死んでしまうので、他人の血を何とかして集めなければなりません。そして他人の血をすするためのパワーも備わっています。さて、普通の人間から吸血鬼になってしまったカトリックの神父は邪悪か。
一方、あるところに少女の頃から虐げられていた一人の若妻がいました。彼女の日常は義母と夫に馬車馬のごとく扱われる灰色の人生であり、それに耐えられない彼女は夜な夜な裸足で街中を全力疾走する奇行を繰り返していました。さて、暴力と悪意が大得意なパク・チャヌク監督*2が、彼女と吸血鬼神父、持たざる者と得た者をマッシュアップするとどうなるでしょう? というお話。」

(以下ネタバレ)


「この映画を見ながら xx の脳裏に浮かんだヴィジョンは一冊の小学校低学年向け新書。タイトルは『たのしい暴力』。ストーリー中でもっとも圧倒されるのは、自己犠牲を省みないサンヒョンが吸血鬼なれど邪悪ならざることを目指してギリギリしているのを横目に、テジュが「邪悪? なんですかそれは?」的に軽々と人間社会のルールを踏み越えていく様で、その留保なき自己肯定には怯みました。真善美でいうと真・悪・美。」

「人から吸血鬼になったあとも吸血鬼である自分を弁えて社会の陰に隠れて生きていこうとするサンヒョンに対して、テジュの人 -> 吸血鬼への変貌は豹変と呼ぶに相応しい凄まじさです。」

  • 序盤 : パワーがなく情熱も希望もない状態。
  • 浮気以降 : 情熱を得、サンヒョンのパワーを間接的に使える状態。希望はあるが夫と義母が邪魔。
  • テジュ殺害後 : 若干満たされたが自分自身にはパワーがない。罪悪感にさいなまれ、テジュガンウの亡霊に怯える。
  • 吸血鬼化以降 : パワーを得て最高にハイ。罪悪感は完全に吹き飛び、正体がバレても一切怯まない。そこらへんで適当な人間を捕まえて血をすすり「ライオンが獲物を食べるのはいけないこと?」とか言ってる。映像的にもめちゃモテだ。

「吸血鬼化以前のテジュには罪悪感と、その裏返しである醜い保身があって、義母にテジュガンウ殺害がバレたときは泣きながら許しを請うたり、それが叶えられないと知るとサンヒョンに責任転嫁して自分は悪くないと言い張る等の、ある意味人間臭い態度が見られました。しかし"ハッピーバースデー、テジュ"以降、そのような偽・悪・醜は完全に鳴りを潜めます。」

高度に発達したエゴイストがかえって社会と良く調和する話をかつて星新一は書きました。人はなぜ法を守るか。一つの意見は、人には本来倫理観という安全装置が備わっているので、社会および自分を守ろうとする"善"が基本になるという考え方。もう一つは、人は自己の幸せを最大化するために生きているので、法に触れて自己の存在を損なうのはよくないと判断して身を慎むという考え方。
後者に立つと、人が法を守るのは単に一人で国家なり全人類を相手取るパワーが不足しているからで、パワーさえ得られれば法による自分および他人の庇護は必要ない、いやむしろお前が痛くても俺は痛くないからそんなルールは邪魔ですよ的な発想が生まれます。テジュの豹変はそういう理屈を暗黙のうちに秘めているように見えて、なんといいますか、グレートにヘビーです。吸血鬼化によって狂ったのではなく*3、パワーを得たのちの正気の価値判断によって邪悪に変わってゆく人間の姿。文字通りの化物。」

「吸血鬼が社会のルールを踏み越えて存在できる、というのは実のところ幻想であり、おそらく認識された吸血鬼は異物として粛々と排除されます。サンヒョンはそれを知っていたがゆえに人の世界と調和することを目指し、闇に隠れて生きるのが無理だと分かったときに、自ら人との関わりを絶って海へ向かったのだと思います。テジュを人ではない何かに変えてしまった責任も背負って。サンヒョンは物語全体を通して理性的・禁欲的であり、自分を生きていてはいけない存在だと見なすまでの展開は説得力があります。
若干意外だったのは、暴力に目覚めたテジュが最終的にはサンヒョンの心中に従ったこと。まあ、日光から身を守るあらゆる術を絶たれた八断死門陣の中で諦めざるを得なかったという解釈もできなくはないですが、この点についてはテジュにとってサンヒョンは数少ない"内側"だったのではないかと見ました。愛人であり、共犯者であり、パワーをくれたサンヒョンだけは自分と同じくらい大切な存在。化物に変わりきったテジュのキャラクターからすると貴重な人間らしさです。話の締めとして僅かに救いが残ることから、設定としては成功だと思いますが、個人的にはこの優しさゆえにテジュの怪物性が余計に際立つようにも見えました。鬼は人間に似ているからこそ恐ろしいといいますか。恋人には優しくデレつつどうでもいい人間を片手でひねり殺すものを何と呼ぶかといったら、そりゃやっぱり化物ですよ。」

*1:一般的にではなく、自分にとってはそこがメインテーマだったということ。為念。

*2:ちなみに『サイボーグでも大丈夫』だけ観ていない。

*3:そういえば『ジョジョの奇妙な冒険』で吸血鬼が邪悪である理由は説明されていなかった気がする。多分。個人的には骨針で刺激を受けた脳にエンポリオ・テンションホルモン的な悪いエキスが湧くからだと思っていた。

時宗時宗2010/03/30 18:56ネタバレ格納にマジレスするのは憚られるのでちょっとずれた返答をいたしますが
車に乗って性格が凶暴になる奴がいますよね、私の友達や父親もそうだったのですが、そういうタイプの人間は、吸血化でも、落ち物系の異世界の人間にパワーを授けてもらうでもなんでもいいですが、そうなった瞬間豹変してしまうんだろうな。
自分自身と考えると、吸血鬼化や、暴力系スタンドを身に付けた場合は多分大人しくしていると思います。
せいぜいスタンドでパチの玉つまんで入賞させるくらいでしょう。
でもデスノートや、ギアスや、ヘブンズドアー系のスタンド、どらえもんなど、自分が安全な場所から他を制圧、コントロールできる能力を持つことが出来たら世界支配をもくろむと思います。

xx-internetxx-internet2010/03/31 07:06本来の性が邪悪でもたまたま発現せずに暮らしていけていた人が、何かの影響で豹変してしまったとき、その状態を邪悪と言っていいのかはちょっと考えますね。
バレなきゃあ犯罪じゃないとも言いますし、その要因を得るまでその人は邪悪とは言い難かったわけですし。
しかし、かといって吸血鬼化ウイルスが邪悪かというと、そういうこともないわけで。
(意志を持ってウイルスをばらまく者がいたとしたらもちろん邪悪ですが)

そのように人の邪悪を誘発させる因子は、世間的にはよく悪魔とか呼ばれますね。

NegikoNegiko2010/03/31 18:39テジュの夫=ガンウが、そのままテジュと誤表記されてます。細かいところですが、気がついたので御報告をば。
『渇き』は友達を誘って3人で見たのですが、『変な映画だったなぁ』と皆見終わった後、苦笑していました。同じメンバーで以前に見たのがポン・ジュノの『母なる証明』だったので、見比べて論じられるのも面白かったです。
『渇き』のラストは印象的でした。テジュは頑張ろうと思えばもっと頑張れちゃう子だと思うんですが(深い穴を掘って隠れるとか)、愛するサンヒョンの無理心中の意図を汲んで、無理でない心中になるあたり、『鬼』とはまた一味違った『鬼女』という立ち位置が似合うと思いました。

NegikoNegiko2010/03/31 19:12あと、『渇き』は文豪ゾラの『テレーズ・ラカン』を下敷きにしているってのは聞いてましたが、ラ夫人がらみのことは結構原典に忠実なんで、びっくりしました。
http://blogs.yahoo.co.jp/akihito_suzuki2000/55490376.html

ミハイル暁ミハイル暁2010/03/31 23:03本日、観ました。上映終了間際で危ない危ない。
ラストは本当に印象的でした。台詞がないのも良かったですが、靴のシーンが良かったです。きちんと持ってたわけですね。
でもまあ「自殺者の血ばかり飲んでるから」という台詞はステキすぎです。
いや、マジでマジで。

xx-internetxx-internet2010/04/01 07:33> Negiko さん
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
『テレーズ・ラカン』のことは後から知ったので事前に読んでいませんでしたが、確かに。
「イエスなら一度まばたきして」はさすがにオリジナルだと思いますが、どうなんでしょう。

テジュのあの無惨な懺悔も原典どおりだとすると、豹変以前との違いも納得できるような気がします。
『クムジャさん』なんかを見ても、監督の好みは明らかに豹変後な気がするので。

> ミハイル暁さん
ライオンとハイエナの違いですかね。>「自殺者の血ばっかり」
実際はハイエナの方が強いそうですが。

匿名希望匿名希望2010/04/02 21:56ネタばれ乞御容赦
・私も母なる証明を最初の30分くらい見たのですが、「渇き」の方がどうなるか先がわからん感じがありますね。現代韓国の妙に昭和的な風景感は共通してますが。
・冒頭の太った病人の親切な妄想のくだり
・テジュはガンホさんと違って実力・知名度よりも顔とか事務所の都合でつっこまれたキャスティングっぽいですが(←偏見)見事でしたね。
・サンヒョンがあっさり盲目の上司(司祭)に告白するのが変身ヒーローや魔法少女の秘密の御約束に慣れた身には新鮮でした。
・自殺サイトの有効利用
・ゾラのリンク先で言及されている「潜水服は蝶の夢を見る」
 世の中的には感動的なフランス映画であるというような風評が流布していますが、荒木先生が観たらインスパイアされそうなグロテスクなシチュエーション・ディテールの作品ですので、ぜひご覧ください。(この場合のグロテスクはイーストウッド映画がファンタジーであるという表現と通底)
・義母の症状から連想されるロックド・イン症候群については
 http://d.hatena.ne.jp/zundamoon07/20081205/1228469959
 この辺りを
・荒木先生といえば穴 HOLES ルイス・サッカー著(講談社文庫)という作品のフットボール選手のスパイクのシークエンスがストーンオーシャンのイチローのスパイクのエピソードに影響をあたえているとしか考えられないですね。(その筋では既出ですか?)ほんのちょっと違います。これもまた運命とか悪とか不幸とか奇跡とかのモチーフが楽しい作品なので機会があれば。

SummonerSummoner2010/07/23 09:25ヴァンプがライカン以上に邪悪な者だと言われるようになったルーツは、ヴラド・ツェぺシュが原因です。
ブラムストーカーのドラキュラ(竜の息子)のモデルとなった彼。

二つ名は串刺し公、父の名はヴラド二世は教会からはドラクル(竜公)。

聖書では竜や蛇はサタンと同一視されている。

つまり、ドラクルは悪魔公と呼ばれその息子は無条件で悪魔の息子とされてる。

ヴラド・ツェぺシュは温厚で民から信頼されていたが街に攻めてくる輩には非情で容赦ないその非情な部分だけを最近の週刊誌やマスコミみたいに部分的に編集され庶民に伝えられてしまった。

ドラキュラは血を吸うがブラムストーカー作の彼は死肉を食べる悪魔とされている。

人間のタブーである共食いが当時の教会の信仰心が絶対だった時代に確実なる邪悪な者へとかわっていったのでしょう...

あと人の心理学には行動、精神、分析の3種類あるので情報の伝達が聞き取りゲームのように内容が大きくなりいつの間にか吸血鬼になり、ノスフェラトゥになったんですね~

トラックバック - http://kill.g.hatena.ne.jp/xx-internet/20100327